4/15〜雨の日の今日まで
何から書こうか、ずっと考えてて。気付いたらもう7月になってしまっていた。
何事も自分が経験してみないと分からない。
ほんと実感する。
絶対嫌いだと思っていたことが実は案外好きだったり、美味しいと聞いていたものがあんまり口に合わなかったり。
実感したその瞬間から、それが“体験”となってようやく落ちてくる。そういうものだと思った。
だから永遠とか、ずっととか。そういうものは儚くて、全部が全部は信じられない。
今日楽しかったことが、明日は辛く感じるかもしれない。
色んな出来事が重なって嫌いになるかもしれない。
反対にもっと楽しくなって、ああ、もう一生これだけして暮らしたい。しあわせだ。うれしい。ずっと、ずっと、こうしていたい。そう思うかもしれない。
それは誰も分からなくって、だって、当の本人でさえ予想できなかった今日かもしれない。
何があるかなんて分からないし、その日、その時、その瞬間に生まれた気持ちが、それまでの気持ちや思い出を差し置いて、一番にしたくなるかもしれない。
だから嘘なんて一つも無かった。
続けたかったすばるくんも、辞めてこれからを歩くすばるくんも確かにいたんだと。
たぶん、決断したときは分かってなかったこともメンバーや周りの人から伝わって、ほとんど今のすばるくんは分かってる。でも、いろんなことを体験して、この先わかることもきっとあるんだろうな。
私はすばるくんが好き。どこにも行ってほしくない。
すばるくんがいる関ジャニ∞を、その中にいる村上くんを好きになったから、二人で笑い合ってるのが好きで、これからもずっとそうしてる姿を見られるものだと思ってた。少なくともこんなに早く見れなくなるとは思ってもみなかった。
村上くんは本当にすばるくんのやることなすこと全部ツボなのか、ほんとによく笑うよね… 何年も前のことを、つい昨日のことのように話してまた笑ってる。おじいちゃんになっても、変わらないんだろうなって思わせてくれるグループで、そのイメージは変わらない。
台本通り、筋書き通りの物語を読んでいるような。
本を閉じれば、スイッチを消せば、目が覚めれば終わるような気がする。
綺麗すぎてなんだか現実味がなくて、分かっていても理解ができない。
どうして、なんで、来てしまったんだろう。すばるくんを連れて行く気持ちは。
こんなに愛されていて、辞めないでって泣いてくれる人だってすぐ側にいるのに辞めないといけなくて、決して楽じゃなかった道のりを経て辿り着いた今の場所を手放してまで、そうじゃないと追いかけられない、そうまでして追いかけたくて、追いかけなければいけないものって一体なんなんだろうって、私は分からないけど、私はすばるくんではないから一生分かることができない。だから納得するなんて無理だ。分からないものを、体験していないことを理解しようだなんて、それは難しい。
けど、時間をかけて、一つずつ、一つずつ、すばるくんが、メンバーが、私たちも大事にしてた七人の空間に区切りを付けることで私たちに体験させてくれている。それでも理解なんてできない。けれど、一緒に整理をしてくれている。これはこうだったね、あれはどうだったっけ、ってこれからも思い出せるように形を整えて大事に箱へ納めてくれている。みんな後悔しないように、歩いていけるように、丁寧に見返せる場所に直していくこの数ヶ月間だったように思う。
7人で歌う姿を生で見ることができない。
地球のどこに行っても見ることが叶わない。
みんな生きてるのに。元気なのに。仲良しなのに。求められてるのに。こんなに大好きなのに何故?
我慢してほしくない。けれどそこにいてほしかった。
今世は関ジャニ∞で居続けてほしかった。
やりたいことを見つけられるひとは世界に一掴みくらいで、それをやれるひとなんて、せいぜい一つまみくらいだと思う。そんなにいないかもしれない。
すばるくんはマイクを置く訳じゃない。死ぬ訳じゃない。元気で、これからも私たちが愛してるあの声で歌を歌っていく。
最近、違うものを見ている時間が長くなって、もちろんそちらも魅力的だからなんだけど。
ああたぶん、何にも考えなくて良い方を無意識に選択しているんだろうなと思う瞬間があって。
オタクは義務ではなくて、趣味だからこそ。
現実がしんどくて目を背けたいとき、観るのが娯楽だと思う。
夢や希望や勇気や元気をくれるアイドルは究極のサービス業だとおもっていて、仕事なのにプライベートの切り売りもしなくちゃいけなかったりするし、仕事だけど、普段の素行も良くないといけなかったり、24時間365日ちゃんとしてなきゃいけないのは本当に並大抵の人間ではできないことだと思ってる。それでも彼らはアイドルを選んで、ジャニーズを選んで、ずっと、ずっと続けてきてくれた。
くれたっていうのは、やっぱりもらってきたものが多すぎるからで、返せないし感謝しかないから何にも責められないんだよな。
誰でもない、いついかなるときも自分の為に生きていくこと。当たり前だけど当たり前じゃなかった人たちだから、決断できて、送り出してもらえて、歩いていけることを全力で喜びたいのにさみしくてかなしくて恋しい気持ちが邪魔をする。
アイドルという職業を通して、本人たちもアイドルであることでもらったものがたくさんあることは分かってるつもりだし、「ありがとう」と言われる度に、楽しそうな、嬉しそうな顔をされる度に「この人たちも幸せなのかなあ」とぼんやりおもったりもするけれど、やっぱり我々の方が幸せだから、もらうという立場は変わらない。
私は不変的なものが好きだけれど、私が大好きなジャニーズってそうじゃない。
少年から青年に移りゆくなかで、背丈が変わり声が変わり、グループを組めたり組めなかったり、デビューできたりできなかったりする。
会報読んだけれど、生きてれば変わってゆくものがたくさんあって、一年単位のものもあれば、十数年単位で変わるものもある。だけど恋してしまったから、なかなか手放せないし、こちらも昨日今日恋した訳じゃなくて、何年も変わらなかった気持ちだから。いつか変われるだろうけど、今は変われなさそうだった。何度もチャレンジしてみたけど、だめだった。
家族や友達は自分が現実で生きていく上で、歪でもなんでも必ず付き合っていかないといけない関係だとおもうけれど、アイドルとファンは絶対が無いから、お互いの思いやりがあって初めて成り立つ関係なんだと思う。
関ジャニ∞を初めてみたとき、この人たちはどの人もここにいるのがいいんだろうなあっておもってた。でももうすばるくんはここじゃないどこかにも行けるんだなあって。あんまりにも綺麗だから、信じられないけれど、どこまでも人間で、信じなくちゃいけなくなってしまった。
ここ数ヶ月、数週間、数日間のメンバーからの言葉を見たり聞いたりして、たぶん今いちばん気持ちの行方がわからなくなってるのは誰でもない関ジャニ∞のすばるくんが好きな人たちなんだろうな。
みんな前を向いていて、次のステージを見据えていて。札幌初日への想いも日に日にふくらんでいく。
大好きな人が、もっと遠くに行ってしまう気持ちって、そんな簡単に言葉にしてはいけないものだと思うから何にもいえないけど、「望むように生きてほしい」「好きになったあなたを見ていたい」「変わらないでいてほしい」矛盾して、苦しい堂々巡りが続くんだろう。諦めたり、諦められなかったり、ぜんぶ正解なんだろうし、誰にも否定する権利はないとおもうし。
国民的キャラクターも、ある日から声が変わったり、姿を見せなくなったらみんな違和感があるはず。でもそのうち慣れるんだ。そういうふうに生きてきたから。
だから怖い。恐ろしい。今の気持ちが薄くなって、いつかの気持ちに覆い被されて慣れてしまうことが怖い。それでいいのだとしても、今が大好きだから、徐々に解きほぐされていくとしても、それでも私は。
最高にハッピーな下半期が来てしまうことが。