ワン、ツー、Sunday
自分は他人のこと気ぃ遣って
小さい頃から怒られたとき
どうしていいのかわからないから
笑ろてまうねん
一昨日のラジオ、最後の数分を聴きながらこの言葉を思い出してた。
そのときの丸ちゃんに手を差し伸べてくれたのは村上さんだったのだろうけど、目の前で自分へのメッセージを読み上げる姿を、おとついの丸ちゃんはどんなふうに笑ってみていたのかな。
村上さんの誕生日から2ヶ月、丸ちゃんの誕生日からは4ヶ月も経ってしまって、それだけ時が経ったのだから何かが変化してしまうことは仕方がないのかも知れないけれど、その全てを受け入れるにはまだ時間が足りない。
盛岡のHGTBのひなまる *1 に遭遇したとき「村上くん鬼かよ」って割と真面目にそう思ったけど、そんな横暴も受け入れてあげてる丸ちゃんを見たら、なんともいえない安心感を覚えた。
この二人からは偶に自己犠牲の匂いがする。だから周りのひとがちゃんと大切にしてくれてるなーって感じるとすごく嬉しくなる。村上さんが我儘をいえるのが丸ちゃん、それはヤスくんや大倉くんとはまた別の甘え方で。たぶん少しだけ似ているから、お互いが心配で、お互いは心配で無いのだろう。二人がそれぞれに向ける視線はいつだって心配と期待の色を含んでいるようにおもう。
怒ってもへらへらする丸ちゃんの言葉を聞いたとき、使命感にちょっとだけ諦めを滲ませたような気持ちを持ったのかな。「わかった」はおそらく分かってなかったし、分かってた気がする。
全く正反対のようでそうでないからこそ、そのときの丸ちゃんの“気遣い”を村上さんは真っ直ぐに受け止めたのかもしれない。
村上さんにとっての週終わりは木曜日らしいから、レコメンが終わると「今週もお疲れ様でした」とラジオ越しに声を掛けてました。そこから聞こえてくる丸ちゃんの「お疲れさま」は優しいから、ふたりへも返したくて。
ラジオを聴く習慣の無かった私にとって、長針の三回まわる時間というのは難しかったし、聴けない日のほうが多かったけど確かにその時間が木曜の夜に訪れることはとても勝手に大切だった。TLに流れる言葉も、ちゃんと毎週ふたりの時間があることを証明してくれるから好きだったよ。
前の日にめいっぱいの幸せとほんの少しの本音を置いて舞台を終えた村上さんは笑顔で、誰でもそうかもしれないけど、送るより送られるほうが大丈夫なようにみえるひとたちなのだなと思った。しぬわけじゃないんやから、って去れるひと。だからまだこの前のヒルナンを私の知る限り、送ってばかり来た村上さんがようやく送られる側になることがこわくて、ホッとして見れてない。
現状維持とは「今の状態をそのまま保つこと」だけど「そのまま保つ」のは「一つも変えないこと」ではないようにおもう。そのままであるために変わらなければいけないなんて、そんなの可笑しいように感じるけれど、常に変化していく周りの中で変わらずにいることは思っているより難しいから。
何事も始まりがあれば終わりがあって、途中で終わりを意識できるときは「終わることが辛くないとき」意識できないときは「終わるのが辛いとき」だと思ってる。好きなものに対しては圧倒的に後者の気持ちを抱くことが多いし、楽しいことは終わってほしくないし。それを当人たちも惜しんでいるように感じたときなんて、どうして終わっちゃうんだろうって、考えてしまう。無意味なことだと分かっていても、考えてしまう。
アフターケアって大事でしょう、終わった後どうするかでその後の気持ちって全然変わってくる。後任のウエストくんは好きだし、頑張ってくれるのだろうし、なのにどこかの誰かであるよりとてもいいけれど、なんで どうして こうじゃなきゃだめだったんだろう、と思ってしまうのが。もやもやしてしまうのがいやだ。あんな声を聴いてしまったら、立ち直れないじゃない。悲しいが癒えなくてもう、どうしたらいいのか。思い返すたびに23日と24日の間で泣いてしまう。
この穴を埋める前にまた次の寂しいが来てしまうからそれまでにせめてその穴に埋もれてしまわないようにしなくては。
いなくなる訳ではないし、どこにもいかない。
ちゃんとグループは在ってそこに居てくれる。
何にも悲しくなんてないんだけど、ちょっと贅沢を言ってるのよ。ヨコヒナのレコメンを知らないから少し感覚がちがうかもしれないけど、初めて別れを目の当たりにして今はただ寂しい。
たぶん優しい顔で笑ってみてあげてたんだろうな。自分のことで泣かれるのは二人とも得意じゃなさそうで、ひどく愛おしい。
やだなあ。
*1:まるちゃんの足抱えたままステージの端まで歩かせて、お客さんに「ほら、挨拶しぃ」って言う何処の輩(むらかみさん)