たいらげたら眠る

今ウトウトしてたでしょ?

キャンジャニ∞楽団


という私の妄想!ただ私が楽しいだけのやつ!設定とかは何にも考えず見切り発車なんですが、後から付けるとすればキャンジャニちゃんが吹奏楽部とかの映画とかドラマとかに出ることになった!みたいな!そんな感じでうやむやむにゃ…

まず担当楽器、
横子:トランペット
すば子:チューバ (またはユーフォ)
丸子:ホルン
錦子:サックス
倉子:フルート

もうなんていうかこれだけで軽く三時間くらいは喋れそうなんですが!(鼻息) 何度も言いますが完全に独断と偏見によるものなので、どうかお手柔らかに!あくまでも!わたしが楽しいやつです!!


よここ: 担当 トランペット (Tp)
これは横山さんが吹くからというのもあるのですが!初めてTpを持っているところを見たときに「なんて似合うんだ…」と衝撃を受けたことを思い出して。個人的には金を吹いてほしいなあ。お髪もだけど、横山さんは金色がよく似合うと思う。ぷっくり唇で小さいマッピに息を入れる姿が愛おしいし、花形で最も目立つといっていいポジションを他のメンバーが支え、頼りにしてる感じがとても素敵じゃないかなって!恥ずかしがり屋さんがTp吹いてるってだけで燃えます!

すばこ: 担当 チューバまたはユーフォ (Tu / Euph)
悩んだ。けどこれはね、小さい子が大きい楽器を持ってるのがすきなんです。小柄な子ほど何故かいちばんでっかいやつ背負ってる。なんでなんだろうね。腕折れちゃいそうなほど細くて、見てて怖かったりするけど、たくましくてかっこいい。ちゃんと自分がここに必要だってわかってる。代わりができない、唯一無二なんだよなあ。

むらこ: 担当 トロンボーン (Tb)
まず手足が長い!!これ決め手です (大事) 
すごく願望をのせると、ロータリー*1のごちゃごちゃ付いたやつじゃなくて全部削ぎ落とされたテナーを吹いてほしい。目覚ましから子守唄まで奏でられるのがTbの音の魅力なので… 豹変する村子がみたい。

まるこ: 担当 ホルン (Hr)
もう絶対ホルンだよね!!!!!というくらい私の中でドンピシャです。決してメインではないけれど、いないといるでは曲全体のリズムも色も変わってくる、大事な存在。あとたまに吠える*2んですよね… これがたまらない。細かい打ち込みも得意だし、まあるい音もチャーミングで大好き。

にしきこ: 担当 サックス (Sax)
これも錦戸さんが持ってるっていってたのもあるけど、ほんと似合うよなーっておもって。サックスでも色々あるのでどれがいいのかなあって考えたけど全部あっちゃうからほんと困る。でも、やっぱりアルトかな〜!ほほえみのサックス×ホルンがみたくてしゃーないです… 甘い音がするんだろうな… バンドの顔のような気がしますSaxって。Tpとはまた違った意味で。

やすこ: 担当 クラリネット (Cl)
木管がいい、っていう勝手な好み。安子には木の音を奏でて欲しい。オーボエもいいなあ。難しいところも完璧に吹きこなす安子。でも影でいっぱい練習してて、指はタコだらけなんでしょ… 連符とかずっと細かく分けてやるから「もーおんなじとこばっかり!聞き飽きた!」って隣で吹いてる倉子にブーブー言われる。(でもあとでやり方教えてもらってる) あとコンミス*3やっててほしい… やすこに夢見過ぎてる。

くらこ: 担当 フルート (Fl)
とりあえず一番女の子っぽいやつを!と。可愛い♡と選んだものの、実はたいそう肺活量の試される楽器*4で「もう嫌や!!」なんでこんなしんどいことせなあかんの!って初めはずっと言ってる。けど持ち前の負けず嫌いさと器用さでメキメキと上達し、素敵な音を出せるようになるんだよ… 面倒くさい連符のよりも、流れるような主旋律を吹くのが好き。たぶん。

打楽器はわたしが管楽器しかやったことがないのもあって分からないことだらけなのと、どうしても倉子横子に傾いてしまうというのもあって… でも安子にマリンバ叩いてほしいのはある。あと村子はピアノが入ってる曲のときは弾いてくれる(大体静かなところはTbお休みなので大丈夫)。あとなんだろ、丸子ホイッスルとか上手そう。スライドホイッスルとか任せたい。絶対すきだよね。 


楽器の掃除してる姿も想像するだけで楽しかったりするからもう無理… 書き切れない… ツバ抜き*5とかにも個性でるから!丸子はお手入れ道具も一通りちゃんと揃えてそうだし、なんならすば子のもちょこちょこ揃えてあげてそう。あと木管のリード*6を湿らせるのに口にくわえてるのめっちゃすきです!!!!!かっこいい!!!にしきこちゃんが「あ、今日のハズレやー…」って落ち込んでるのも「アタリ!やった!」って嬉しそうなのもかわいい。*7(あれいつも大変だなって思ってました。)


これ組み合わせ(Tp×Tbとか)も考え始めたらほんとに終わらなくなったのでとりあえずここで止めておきます、青い春を捧げただけあって熱量がすごかった。吹いてほしい曲とかもあげたい。金管だけ、木管だけでのアンサンブルもきっと面白いよね!ああ、楽しい〜 何やってるんだろう!






*1:管が長いままだと大変なので、くるくるーっと巻いてしまった部分のこと。トロンボーンの場合  これが付いてると手をめっちゃ伸ばさなくて済むため、腕の短いわたしでも安心。

*2:ホルンは本気を出せばパォーンともワォーンともガォーーとも取れるなんともいえない音が出せる。

*3:コンサートミストレスの略。音楽面での部長みたいなところ。チューニングとかの芯になったり、周りの音をずっと聴いてなきゃいけなかったり、すごく大変。

*4:息いれてもほとんど漏れちゃうから

*5:楽器に息を入れてると、どうしてもツバ(もとい水蒸気)が溜まるのでそれを抜くとこがある。そこを開けながらフッと息をいれたり、布を管の中に通したりする。

*6:吹くところに付ける木の板みたいなもの。高い。金管は必要ないのでお金かからなくてとてもありがたかった。

*7:リードにはアタリ・ハズレがあるらしく見た感じ(私からすれば)同じでも、吹くと違うらしい。一箱10枚入りでアタリ1枚しかなかった!と聞いてマジかよ…となった記憶。

無題

ここ数日の気持ちを整理したくて書き出してみる。


宮城に行ってきました。
お天気にも恵まれてとっても楽しかった。
素敵な場所なの、ほんとうに行けてよかった。


さとしにも会えて、歌も笑顔も一つ残らず抱きしめてきた。今回の件で感じたことはあなたも人間だったってこと。



私が色々みたのは17日の夜でした。
帰ってきてTLを開いたらなんだか騒がしくて、何があったのだろうと思った。そして原因を知って、初めはそんなに大した事じゃないって、ただ漠然とした気持ちでいて。
けれど次の日になって。嘘か本当か分からないような写真や文章や、それに対しての言葉の応酬。くるしかった。つらかった。
これは何なんだろう、だってコンサートがもう始まるってときにどうしてって、いっぱい思ったし考えてぐるぐるしてかなしくてあなたを思って真っ暗になった。

20日の朝起きて「もう一切会いません」というようなことを本人が言ったんだって知って、もうぐちゃぐちゃで。ほんとうに好きだったのか友だちだったのかそんなこと分からないし分からなくてもいいけれど、一緒に笑ったりできた場所がひとつ無くなってしまったのかなって考えただけでどうしようもなくなった。それと同時に知りもしない相手のことを許せない奴と否定する自分もいて、流れてくる情報だけで形作った彼女の姿をなんどもなんどもにくいと思ってしまった。

ライブでみたあなたは最初どこかほろ苦くみえた。それはわたしの勝手なフィルターのせいかもしれない。音程をあんまり上手く取れてなかったり声が聞こえにくかったり、野外ってむずかしいんだろうなともおもったけどそれと同時にちょっとだけこわい気持ちもあったのかなっておもったりして、でも挨拶シャッフルのあとからどんどん表情が変わってった気がした。後半から終盤にかけては笑い顔も柔らかくなったようにみえて。いつもの顔もあった気がして。にのがいつも以上にかわいくアイドルしてみえたのとかあいばちゃんが会話をリードしてくれてたのとかじゅんくんのいつもより甘いような話し方とかしょうくんから滲み出てた強いオーラとか、なんていったらいいのか分からないけど、守ってるとか、そんなつもりないのかもしれないけど、どうしようもなくあらしがあらしで、そこに確かにおおのさんはいた。

アクセントダンス後の曲の初っ端おおのさんが抜かれたときの射るような目がこわくて震えて。そんな目するんだ、そこで踊る、歌うあなたは今までみた中で一番現実味を帯びていた。わたしはおおのさんのことをどこかでやっぱり自分とはちがうものだとおもっていたのかもしれなかった。でも、ちゃんと人間だった。そりゃそうだ。いまやっと理解して、こんなにも驚いている。

途中でしょうくんだったっけ、に促されて曲終わりのはける時に「本当に、ありがとうございます」といって暗転して去っていったの。ほんとうに温度のある言葉だった。じんわり心に入ってきて、馴染んでいった。


わたしは深いことわかっていないのだろうし知ろうとしないし無責任だから。あなたの笑える場所とわたしたちが笑っていてほしい場所はちがうのかもなんて考えたり、いまひとりじゃないかなとかそんなことばかり気になってるような人間で、おおのさんも立派な大人で、そんなことは分かってて、わかってるけど、でもだってどうしようもなくおおのさとしのことが大切だったから、あなたが笑っていられる場所が例えどんなにわたしには綺麗なところに見えなくても。己で蒔いた種だったとしても。脇が甘かったのだとしても。それを取り上げてやいやいと言うことはできなくて、できるくらいあなたのことを知らなくて、それがくるしくてかなしくてちょっとだけよかったのかもしれないと思ったりして。しらなかった感情が溢れてきてくるしかった。あなたに面と向かってすきだと言えなくなった自分がかなしかった。

レポを読んで元気なのかなって少しほっとして、明日も笑ってくれてたらいいなって身勝手におもってしまう。あの空に抜けていくような強い声をこんなに誰かに聞いてほしいとおもったのは初めてだった。すごいひとなんだ、歌も踊りも絵も笑顔もあのひとのつくるもの全てに魅せられて離せない。離れられない。


すきなことをすきなままでいてほしい。
そのままでいてほしい。
かわらないでいてほしい。
そんな想いだけが募ってしかたない。
あなたが笑っていられる場所がもうなくなりませんように。さとしのばか。こんなきもちどうしてくれる。あなたとあなたの好きなものたちがずっと ずっと あったかい場所にどうか。ねえ、おおのさん。ちゃんと ぎゅっとしてあげてて。ちゃんと ぎゅっとしてて。







続々



ある人は言った。
「続けてこれたっていうセンスがあっただけ」
そしてまたある人は言われた。
「続けるって才能だよな」


続けるって難しい。例え、それがどんなに好きなことであったとしても。何かを続けることは何かを止めることだと思う。全部を平等にできるひとなんていないんじゃないかな。皆何かしらを削って別の何かを続けている。それくらいそのことを続けたくて、続けないといけなくて、続けざる負えないんだろう。

履歴書の自己PR欄に「継続力があります」と書いた。部活、アルバイト、習い事… どれも辞めないで続けた。これが私の誇れること。けれど全部中途半端。一つでも人以上にできたものはない。その割にいつだって並に抵抗があった。「○○ってさー、××高校っぽいよね」と言われれば同じくらいの△△高校を受けたし、お菓子の世界に飛び込んだのだってみんなと違う場所でみんなと違う自分になりたかったのかもしれない。ただ続けることで学んだことは何だろう。

目の前のことに向き合うこと。目標や夢は努力しないと果たせない。努力したって辿り着けないときもある。続けるって難しい。心が強くないと駄目だ。何かに一生懸命なひとは美しい。結果より過程、なんて一概には言えないけど、過程が濃い人は時に結果を出した人と同じくらい美しくみえる。そんな人たちを無条件に尊敬している。

継続は力なり。どんなに小さなことでもコツコツ積み重ねていけば大きなことにも手が届くようになる。そんなことを信じて努力し続けられる人間は見れば分かる気がする。目の奥に星とか炎とか、宇宙があってね。キラキラしてる。その瞳が好きだからいつまでも見てられる。昔はどうして自分の目はあんなふうに光らないんだろうなあって思ってたけど。


続けるって難しい。私もあんな瞳になりたい。



考えるのやーめた!

 

ここを読んでくださっている皆様は、「村上さん〜〜〜今日もかっわいいよ〜〜〜すっき〜〜〜〜〜!!!!!!!」と呟いているやつだと思っていただいているのかと思います。実際その通りなのですが、私がこんな風にネットの片隅で愛を叫び始めたのは嵐に出会ってからでした。そんな話を長々と。

 
度々呟いたり、ここやnoteなどに話したりもしますが、そもそもジャニオタになったきっかけは友人に入れてもらった嵐のアルバムを聴いたからでした。テスト期間中であった当時のわたしは現実から逃避するかのように聴き続け、結果、半ば洗脳されたかのように「わたし  あらし  すき…」となり現在に至ります。
 
 
いうなれば、掛け持ち。マイナスに捉えられるこの言葉があまり好きじゃなくて。なんだか浮気みたいじゃない?そんな風に思っていました。関ジャニ∞を好きになるまでは嵐しか見えてなかったから。
 
わたしが嵐を好きになったとき、もう嵐はとっても大きなグループでした。レギュラー番組もちゃんとあって、そこに他のグループが一緒に出ていてもかわいい〜 かっこいい〜 とは思うけど、それだけ。嵐は勿論、ジャニーズを好きな友だちは周りに沢山いましたがそのときはキャーキャーいう様をみて楽しそうだな〜って完全に他人事のように眺めていました。
 
小さな頃から弟の影響もあり、人形遊びよりもロボットやブロック遊び、ちゃおを読みつつジャンプに心酔し、初めてすきになった三次元は仮面ライダーWのフィリップくんでした。(いろんなところに手を出していたからどんな人とでもだいたい話が合うのは利点だとおもっています) そんなこんなだったのでジャニオタになる可能性もまあ、0ではなかった。
 
Twitterはこれも友人に「仲間ができる」と教えてもらって始めたもので、それまでは吐き出す場所がなかったから募る思いはノートにつらつら書き留めたりしてました。
 
大掃除のときとかに発掘するとパッと開けてソッと閉じ、当時の自分を思い浮かべながらゴミ箱の奥底に沈めます。
 
 
なので初めて作ったアカウントは嵐のものでした。高三の夏のこと。最初からずっとフォローしてくださっている方には本当申し訳ないくらい試行錯誤ごたごたしながら、酸いも甘いも味見しながら… 今日あった嬉しかったこと、悲しかったこと、全部おもうままに呟く半分日記みたいなところ。とりとめない呟きを受け止めてくださる方々がいてふらっといつ帰っても、おかえりと迎えてくれる素敵なひとつの居場所。
 
村上さんを好きだ〜って思い始めてから溢れてくる言葉をどこかに置きたくて、でもなんだか大野さん好きだ〜と一緒に出来なかったから名前も全然ちがう真っさらなアカウントを作りました。最初はエイトと村上さんが可愛い可愛いってことを吐き出すだけの場所だったはずなのに、ともに話してくださるひとができて、声を掛けてもらえてうれしかったから気付けば毎日のこととか話したりそっちに居座るようになってて。
 
そうやって全部をエイトのほうにつぶやき始めたら好きまで全て乗り移っちゃったみたいに思えて、なんだか少し悲しくなって。このアカウントはエイトを好きだと遠慮なく呟けるように作った場所なのに、どうして大野さんの話をしたくなるんだろうってずっと考えてて。おおのさんの話をしたいならそっちですればいいのにと。
 
で、なんとなく辿り着いたのが自分のどこかにちゃんとおおのさんがいるという確認をしたいのかということ。ふわっと、初恋の子に6年間片思いをしていた頃の気持ちに似てるなと感じてしまった。その子を好きであることはいつしか自分の一部だったし、いざ好きをやめたらポッカリなんか足りないなって心地がずっとしてたあの気持ち。おおのさんのことを嫌いになったわけでは決してないけど、なんだかそんな感じでよくわからない寂しさがあったのだとおもう。
 
あと勝手な偏見や私の周りのひとが偶々そうなのかもしれないけれど、エイトを好きな方々は他の人や物のこともちゃんと好きと言えるひとが多いように感じていて。その対象は他グループやアーティストさんだったり俳優さんだったり様々だけど、だからか嵐のことも自然と話せてしまう。同じ好きをみつけたら「わっ!」と飛びつきたくなるし、それができる雰囲気がある。これも勝手な思い込みだとおもうけど嵐のほうでは何故か話しにくいのです。こっちで色んなことを話したくなってしまうのはそんなところもあるのかもしれないな。
 
エイトを好きな方々とお話していると気持ちが晴れやかになってそれはエイト自身がそうだからというのもあるのかなーって、視点が増えて楽しいんだ本当に。
 
 
熱しやすく冷めやすいけど冷めても嫌いになることは無くて、でも好きの一番しか見えないからそれ以外は二の次になってしまう。そんな性格だから一生とかずっと応援してる!とか言わないようにしてたけど、おおのさんだけはずっと追いかけていこうと思えてしまった。そんな一面おおのさん一色だった私の視界にポンっと飛び込んでくるようなひとが現れて、そんな器用にあれもこれも見てられないのに日に日に好きになっていくから困る!何だよ!助けてくれ!というのが今の心境。
 
 
人生全部繋がってるんだなーっておもうときはこんなとき。小さな頃に始めたピアノがきっかけで音楽がすきになって、吹奏楽部に入って、仲良くなった子が冒頭から出てくる友人で、嵐に出会わせてくれて、そこで出来た仲間が関ジャニ∞のことを好きだった。連れて行ってもらったライブで雷に打たれて帰ってくることになった。終わってから二週間くらいはまだ大丈夫だと思ってたんだよ。楽しかったなぁ よかったなぁってそれだけだったのに、じわじわきっと、心の奥底のほうではもうダメだったんだろうね。初めまして、で好きになったら負けだとおもってる。だって相手のことなんにも知らないのに好きとおもっちゃったらもう絶対逃れられない。それって本能に近いなにかだろう。一目惚れってそういうやつでしょう。
 
 
【両忘/りょうぼう】何事も二者択一じゃなくて両方選ばなくてもよい、両方選んでもよい、間をとってもよいよって禅の言葉。これをおおのさんは「考えるのやーめた」と訳したらしい。あっちかな、こっちかな…と悩むのも迷うのも全部ぜんぶもう「考えるのやーめた!」私の人生はあなたに出会ってから180°変わってしまった。でも本当、それをマイナスに感じたことはない。好きになってからプラスの毎日、足し算かけ算ばっかりだよ。
 
今こうして忙しいけど笑って過ごすヲタクとしての日々に誇りを持っているし (しかし他人には絶対オススメしない) 今までの失敗とか後悔とかがあったから今ここでアイドル最高〜〜〜ッ!!!と叫べてるのなら過去に何にも未練はないとおもえるから、それってとってもお気楽で幸せな人生だなぁって思う。
 
 
 
最後に、嵐のROCK  YOUという曲がこれが私のアイドルに対する全てなんだと思うくらい大好きなので紹介させてください。
 
始まりは 思いもかけずに 僕の目に映ったよ
ふっと  その笑顔 思わず見とれた  運命的
 
想いが広がる 胸に  だから もう迷わない!
 
 
 
終わりなき宇宙の様、宇宙 is you。
これからも好きだという気持ちを広く深く持っていたい。そして今後もこんな面倒くさいやつに付き合ってくださるという皆様、どうか一つ宜しくお願いいたします。愛してます。(重たい)
 

『ブルームーン』


観に行けてよかった、本当に素敵な舞台でした。
思うことは沢山あれど言葉にできないなと思い、パンフレットを開いてみる。

この物語を観た後は、きっと全てが愛おしくなる。チャーミングな人々が紡ぐ“ロマンチック・ラブコメディー”

クスッと笑えて、心にじんわりとしみわたり… ステキな言葉に惚れ惚れして。チャーミングってユタカくんの、横山さんの為にある言葉じゃないかなって思うくらい。この物語に出てくる人はみんなとってもキュートで丸ごと抱きしめたくなる。最後の最後ルミちゃん抱えて回るユタカくんとその上を舞う色とりどりの紙吹雪、そしてブルームーンの旋律が鳴り響き、閉じゆく幕。暗がりに二人の影がぼんやり浮かんで「ああ  よかったね」と目から諸々こぼれ出た。

ブルームーンの何処かメルヘンチックな感じとか古めかしさとかそういった雰囲気にキュンとして、色合いもそうだしお寺という舞台自体もそうで。そこにある時計や靴や机や椅子、せんべいとクッキーの缶まで和で洋な物たちに包まれた不思議な空間だった。その中で繰り広げられるリアルとファンタジーの境目みたいな物語。一度ではどれがアドリブでどれがアドリブでないのか正確には分からなかったけれど、終始楽しそうに飛び交う台詞たちにずっと頬が緩みっぱなしでした。

はじめ、ユタカくんとオサム父さんが喋っているところは本当に家で会話しているように、実は少し聞き取りにくいなあって思うところもあったのだけれど、一人一人と増えるにつれて上がっていく空気にぜんぶ呑み込まれて。ドラマや映画じゃない、舞台って生の人間を感じられる特別な場所なんだなあって改めて。全身で生きた言葉を受け取れることがうれしくて震えた。

ユタカとルミのように、自分で気付けないことを見つけてくれる人が側にいてくれるのはどんなに幸せなことだろう。運命は、いつでも遠回り。この言い回しが大好き。かならず何処かに隠れてるからこそ、いつどこでどうやって見つけるかは人それぞれで、それでいいんだ。


ブルームーンはその名の通り青く見える月のこと、あと一ヶ月の間に満月が二度回ってくる時の二回目の満月のこと。後者は千秋楽の今日から約一ヶ月後の7月31日に巡ってくるんだよ、とパンフレットの解説のところに載っていて。その月にあえるまで、もう少し自分の未来と過去を振り返ったり見通してみたりしながら、ちゃんと今と向き合いたい。


ユタカくん、ルミちゃん、オサム父さん、はま子さん、トニー、ケイト、光恵さん、皆キラキラしていて宝石のようでした。そんな宝石がたくさん集まった宝箱のような舞台。誰かの大切な宝箱の中身をね、そっとみせてくれたみたいな心地がしてる。横山さんが「宝物」といったと聞いて一層、みせてくれてありがとうございましたという気持ちで一杯です。


星と太陽

わたしにとって夜空に輝く星、浮かぶ月は嵐である。そして青空で眩しく光る太陽が関ジャニ∞だ。辛かった時期があった。息をすることも億劫で、いっそのこと止めてしまおうかと思っていた。そんな真っ暗闇から救いあげてくれたのが嵐の歌だった。友だちがアルバム二枚分をウォークマンにぎゅっぎゅと詰めてくれて、来る日も来る日もきいていた。そうするうちに何も見えなかったところに星が現れた  それが大野智だった。それまで弟の影響もあり、少年漫画や戦隊ヒーローばかり夢中で追いかけている子どもだった。はずなのに突然、アイドルという未知の世界に落ちてしまうなんて夢にもおもわなかった、(といいつつ遂にやってしまったな感もあった気がするけれど!) 好きになってからは早かった。愛に溺れて、アイドルの魅力に段々のみこまれていく日々へ慣れてきた頃にはちゃんと夜明けを迎えられるようになってた。そうして次は誰よりも眩しい太陽に出会えた。村上信五という太陽。むらかみさんは決して底抜けに明るいひとではないけれど、あんなに眩しいひとを私は見たことがなかった。元気をつくるお日さまの光みたいに、そこに、見える位置に昇ってきてくれる姿をみて昼間が恋しくなった。あんなに夜が好きだったのに、と日が暮れる度考えてはどこ宛でもない罪悪感のようなものにかられて唸った。しかし  どうしてか私の世界は朝と夜で出来ているのだと昨日ふと腑におちて、書いてみたくなった  から書いた。相変わらず言いたいことの十分の一もまんぞくに綴れないし上書き保存はできないし、うまく生きられないけれど今がしあわせなうちは  しあわせだと思えるうちは、もうすこしこのまま目まぐるしい毎日を送ろうと決めた。


(人前で鼻ほじるくらい) 自然体で、驕らないひと。
ふたりに共通点があるとしたらそういうところなのかな、



味園ユニバース


ポチオとシゲオとシブタニスバル
この映画の中には三人いたと思う

最後の最後にやっと見せてくれる笑顔が、歌に音に囲まれて笑うあの顔が離れない。そこだけのためにもう一度、と思うほどには掴まれてエンドロールが流れ切っても席を立てなかった。

新曲が作られていく過程はとてもドキドキした。歌うことが生きることのように、言葉を紡ぐポチオがいとおしかった。歌うということを軸に動いていく世界とその中や外で生きている人々の対比だったり、上手く生きられないのも含めてみんな人間ばかりだった。

全て観終わった後に聴く曲、全てちがったように聞こえる。ココロオドレバ、記憶、古い日記… そこに、ここに生きている。よくわからない感情。ポチオでありシゲオという人物はいないけれどきっといる、そのことを確かめたくて観にいく。わたしの知る世界ではないけれどこれはどこかの誰かの世界なんだとそうおもった。だから余計深く残る。

映画の後、味園へ。入るひとに出ていくひと。沢山のひとで賑わってた。ビルのガラス面に映画のポスターが貼られていてやっと、少し夢から覚めた気持ちになった。現実とそうでないことが交じりあったもの。味園ユニバースというもの。

逢えてよかったなとおもった。