たいらげたら眠る

今ウトウトしてたでしょ?

続々



ある人は言った。
「続けてこれたっていうセンスがあっただけ」
そしてまたある人は言われた。
「続けるって才能だよな」


続けるって難しい。例え、それがどんなに好きなことであったとしても。何かを続けることは何かを止めることだと思う。全部を平等にできるひとなんていないんじゃないかな。皆何かしらを削って別の何かを続けている。それくらいそのことを続けたくて、続けないといけなくて、続けざる負えないんだろう。

履歴書の自己PR欄に「継続力があります」と書いた。部活、アルバイト、習い事… どれも辞めないで続けた。これが私の誇れること。けれど全部中途半端。一つでも人以上にできたものはない。その割にいつだって並に抵抗があった。「○○ってさー、××高校っぽいよね」と言われれば同じくらいの△△高校を受けたし、お菓子の世界に飛び込んだのだってみんなと違う場所でみんなと違う自分になりたかったのかもしれない。ただ続けることで学んだことは何だろう。

目の前のことに向き合うこと。目標や夢は努力しないと果たせない。努力したって辿り着けないときもある。続けるって難しい。心が強くないと駄目だ。何かに一生懸命なひとは美しい。結果より過程、なんて一概には言えないけど、過程が濃い人は時に結果を出した人と同じくらい美しくみえる。そんな人たちを無条件に尊敬している。

継続は力なり。どんなに小さなことでもコツコツ積み重ねていけば大きなことにも手が届くようになる。そんなことを信じて努力し続けられる人間は見れば分かる気がする。目の奥に星とか炎とか、宇宙があってね。キラキラしてる。その瞳が好きだからいつまでも見てられる。昔はどうして自分の目はあんなふうに光らないんだろうなあって思ってたけど。


続けるって難しい。私もあんな瞳になりたい。



考えるのやーめた!

 

ここを読んでくださっている皆様は、「村上さん〜〜〜今日もかっわいいよ〜〜〜すっき〜〜〜〜〜!!!!!!!」と呟いているやつだと思っていただいているのかと思います。実際その通りなのですが、私がこんな風にネットの片隅で愛を叫び始めたのは嵐に出会ってからでした。そんな話を長々と。

 
度々呟いたり、ここやnoteなどに話したりもしますが、そもそもジャニオタになったきっかけは友人に入れてもらった嵐のアルバムを聴いたからでした。テスト期間中であった当時のわたしは現実から逃避するかのように聴き続け、結果、半ば洗脳されたかのように「わたし  あらし  すき…」となり現在に至ります。
 
 
いうなれば、掛け持ち。マイナスに捉えられるこの言葉があまり好きじゃなくて。なんだか浮気みたいじゃない?そんな風に思っていました。関ジャニ∞を好きになるまでは嵐しか見えてなかったから。
 
わたしが嵐を好きになったとき、もう嵐はとっても大きなグループでした。レギュラー番組もちゃんとあって、そこに他のグループが一緒に出ていてもかわいい〜 かっこいい〜 とは思うけど、それだけ。嵐は勿論、ジャニーズを好きな友だちは周りに沢山いましたがそのときはキャーキャーいう様をみて楽しそうだな〜って完全に他人事のように眺めていました。
 
小さな頃から弟の影響もあり、人形遊びよりもロボットやブロック遊び、ちゃおを読みつつジャンプに心酔し、初めてすきになった三次元は仮面ライダーWのフィリップくんでした。(いろんなところに手を出していたからどんな人とでもだいたい話が合うのは利点だとおもっています) そんなこんなだったのでジャニオタになる可能性もまあ、0ではなかった。
 
Twitterはこれも友人に「仲間ができる」と教えてもらって始めたもので、それまでは吐き出す場所がなかったから募る思いはノートにつらつら書き留めたりしてました。
 
大掃除のときとかに発掘するとパッと開けてソッと閉じ、当時の自分を思い浮かべながらゴミ箱の奥底に沈めます。
 
 
なので初めて作ったアカウントは嵐のものでした。高三の夏のこと。最初からずっとフォローしてくださっている方には本当申し訳ないくらい試行錯誤ごたごたしながら、酸いも甘いも味見しながら… 今日あった嬉しかったこと、悲しかったこと、全部おもうままに呟く半分日記みたいなところ。とりとめない呟きを受け止めてくださる方々がいてふらっといつ帰っても、おかえりと迎えてくれる素敵なひとつの居場所。
 
村上さんを好きだ〜って思い始めてから溢れてくる言葉をどこかに置きたくて、でもなんだか大野さん好きだ〜と一緒に出来なかったから名前も全然ちがう真っさらなアカウントを作りました。最初はエイトと村上さんが可愛い可愛いってことを吐き出すだけの場所だったはずなのに、ともに話してくださるひとができて、声を掛けてもらえてうれしかったから気付けば毎日のこととか話したりそっちに居座るようになってて。
 
そうやって全部をエイトのほうにつぶやき始めたら好きまで全て乗り移っちゃったみたいに思えて、なんだか少し悲しくなって。このアカウントはエイトを好きだと遠慮なく呟けるように作った場所なのに、どうして大野さんの話をしたくなるんだろうってずっと考えてて。おおのさんの話をしたいならそっちですればいいのにと。
 
で、なんとなく辿り着いたのが自分のどこかにちゃんとおおのさんがいるという確認をしたいのかということ。ふわっと、初恋の子に6年間片思いをしていた頃の気持ちに似てるなと感じてしまった。その子を好きであることはいつしか自分の一部だったし、いざ好きをやめたらポッカリなんか足りないなって心地がずっとしてたあの気持ち。おおのさんのことを嫌いになったわけでは決してないけど、なんだかそんな感じでよくわからない寂しさがあったのだとおもう。
 
あと勝手な偏見や私の周りのひとが偶々そうなのかもしれないけれど、エイトを好きな方々は他の人や物のこともちゃんと好きと言えるひとが多いように感じていて。その対象は他グループやアーティストさんだったり俳優さんだったり様々だけど、だからか嵐のことも自然と話せてしまう。同じ好きをみつけたら「わっ!」と飛びつきたくなるし、それができる雰囲気がある。これも勝手な思い込みだとおもうけど嵐のほうでは何故か話しにくいのです。こっちで色んなことを話したくなってしまうのはそんなところもあるのかもしれないな。
 
エイトを好きな方々とお話していると気持ちが晴れやかになってそれはエイト自身がそうだからというのもあるのかなーって、視点が増えて楽しいんだ本当に。
 
 
熱しやすく冷めやすいけど冷めても嫌いになることは無くて、でも好きの一番しか見えないからそれ以外は二の次になってしまう。そんな性格だから一生とかずっと応援してる!とか言わないようにしてたけど、おおのさんだけはずっと追いかけていこうと思えてしまった。そんな一面おおのさん一色だった私の視界にポンっと飛び込んでくるようなひとが現れて、そんな器用にあれもこれも見てられないのに日に日に好きになっていくから困る!何だよ!助けてくれ!というのが今の心境。
 
 
人生全部繋がってるんだなーっておもうときはこんなとき。小さな頃に始めたピアノがきっかけで音楽がすきになって、吹奏楽部に入って、仲良くなった子が冒頭から出てくる友人で、嵐に出会わせてくれて、そこで出来た仲間が関ジャニ∞のことを好きだった。連れて行ってもらったライブで雷に打たれて帰ってくることになった。終わってから二週間くらいはまだ大丈夫だと思ってたんだよ。楽しかったなぁ よかったなぁってそれだけだったのに、じわじわきっと、心の奥底のほうではもうダメだったんだろうね。初めまして、で好きになったら負けだとおもってる。だって相手のことなんにも知らないのに好きとおもっちゃったらもう絶対逃れられない。それって本能に近いなにかだろう。一目惚れってそういうやつでしょう。
 
 
【両忘/りょうぼう】何事も二者択一じゃなくて両方選ばなくてもよい、両方選んでもよい、間をとってもよいよって禅の言葉。これをおおのさんは「考えるのやーめた」と訳したらしい。あっちかな、こっちかな…と悩むのも迷うのも全部ぜんぶもう「考えるのやーめた!」私の人生はあなたに出会ってから180°変わってしまった。でも本当、それをマイナスに感じたことはない。好きになってからプラスの毎日、足し算かけ算ばっかりだよ。
 
今こうして忙しいけど笑って過ごすヲタクとしての日々に誇りを持っているし (しかし他人には絶対オススメしない) 今までの失敗とか後悔とかがあったから今ここでアイドル最高〜〜〜ッ!!!と叫べてるのなら過去に何にも未練はないとおもえるから、それってとってもお気楽で幸せな人生だなぁって思う。
 
 
 
最後に、嵐のROCK  YOUという曲がこれが私のアイドルに対する全てなんだと思うくらい大好きなので紹介させてください。
 
始まりは 思いもかけずに 僕の目に映ったよ
ふっと  その笑顔 思わず見とれた  運命的
 
想いが広がる 胸に  だから もう迷わない!
 
 
 
終わりなき宇宙の様、宇宙 is you。
これからも好きだという気持ちを広く深く持っていたい。そして今後もこんな面倒くさいやつに付き合ってくださるという皆様、どうか一つ宜しくお願いいたします。愛してます。(重たい)
 

『ブルームーン』


観に行けてよかった、本当に素敵な舞台でした。
思うことは沢山あれど言葉にできないなと思い、パンフレットを開いてみる。

この物語を観た後は、きっと全てが愛おしくなる。チャーミングな人々が紡ぐ“ロマンチック・ラブコメディー”

クスッと笑えて、心にじんわりとしみわたり… ステキな言葉に惚れ惚れして。チャーミングってユタカくんの、横山さんの為にある言葉じゃないかなって思うくらい。この物語に出てくる人はみんなとってもキュートで丸ごと抱きしめたくなる。最後の最後ルミちゃん抱えて回るユタカくんとその上を舞う色とりどりの紙吹雪、そしてブルームーンの旋律が鳴り響き、閉じゆく幕。暗がりに二人の影がぼんやり浮かんで「ああ  よかったね」と目から諸々こぼれ出た。

ブルームーンの何処かメルヘンチックな感じとか古めかしさとかそういった雰囲気にキュンとして、色合いもそうだしお寺という舞台自体もそうで。そこにある時計や靴や机や椅子、せんべいとクッキーの缶まで和で洋な物たちに包まれた不思議な空間だった。その中で繰り広げられるリアルとファンタジーの境目みたいな物語。一度ではどれがアドリブでどれがアドリブでないのか正確には分からなかったけれど、終始楽しそうに飛び交う台詞たちにずっと頬が緩みっぱなしでした。

はじめ、ユタカくんとオサム父さんが喋っているところは本当に家で会話しているように、実は少し聞き取りにくいなあって思うところもあったのだけれど、一人一人と増えるにつれて上がっていく空気にぜんぶ呑み込まれて。ドラマや映画じゃない、舞台って生の人間を感じられる特別な場所なんだなあって改めて。全身で生きた言葉を受け取れることがうれしくて震えた。

ユタカとルミのように、自分で気付けないことを見つけてくれる人が側にいてくれるのはどんなに幸せなことだろう。運命は、いつでも遠回り。この言い回しが大好き。かならず何処かに隠れてるからこそ、いつどこでどうやって見つけるかは人それぞれで、それでいいんだ。


ブルームーンはその名の通り青く見える月のこと、あと一ヶ月の間に満月が二度回ってくる時の二回目の満月のこと。後者は千秋楽の今日から約一ヶ月後の7月31日に巡ってくるんだよ、とパンフレットの解説のところに載っていて。その月にあえるまで、もう少し自分の未来と過去を振り返ったり見通してみたりしながら、ちゃんと今と向き合いたい。


ユタカくん、ルミちゃん、オサム父さん、はま子さん、トニー、ケイト、光恵さん、皆キラキラしていて宝石のようでした。そんな宝石がたくさん集まった宝箱のような舞台。誰かの大切な宝箱の中身をね、そっとみせてくれたみたいな心地がしてる。横山さんが「宝物」といったと聞いて一層、みせてくれてありがとうございましたという気持ちで一杯です。


星と太陽

わたしにとって夜空に輝く星、浮かぶ月は嵐である。そして青空で眩しく光る太陽が関ジャニ∞だ。辛かった時期があった。息をすることも億劫で、いっそのこと止めてしまおうかと思っていた。そんな真っ暗闇から救いあげてくれたのが嵐の歌だった。友だちがアルバム二枚分をウォークマンにぎゅっぎゅと詰めてくれて、来る日も来る日もきいていた。そうするうちに何も見えなかったところに星が現れた  それが大野智だった。それまで弟の影響もあり、少年漫画や戦隊ヒーローばかり夢中で追いかけている子どもだった。はずなのに突然、アイドルという未知の世界に落ちてしまうなんて夢にもおもわなかった、(といいつつ遂にやってしまったな感もあった気がするけれど!) 好きになってからは早かった。愛に溺れて、アイドルの魅力に段々のみこまれていく日々へ慣れてきた頃にはちゃんと夜明けを迎えられるようになってた。そうして次は誰よりも眩しい太陽に出会えた。村上信五という太陽。むらかみさんは決して底抜けに明るいひとではないけれど、あんなに眩しいひとを私は見たことがなかった。元気をつくるお日さまの光みたいに、そこに、見える位置に昇ってきてくれる姿をみて昼間が恋しくなった。あんなに夜が好きだったのに、と日が暮れる度考えてはどこ宛でもない罪悪感のようなものにかられて唸った。しかし  どうしてか私の世界は朝と夜で出来ているのだと昨日ふと腑におちて、書いてみたくなった  から書いた。相変わらず言いたいことの十分の一もまんぞくに綴れないし上書き保存はできないし、うまく生きられないけれど今がしあわせなうちは  しあわせだと思えるうちは、もうすこしこのまま目まぐるしい毎日を送ろうと決めた。


(人前で鼻ほじるくらい) 自然体で、驕らないひと。
ふたりに共通点があるとしたらそういうところなのかな、



味園ユニバース


ポチオとシゲオとシブタニスバル
この映画の中には三人いたと思う

最後の最後にやっと見せてくれる笑顔が、歌に音に囲まれて笑うあの顔が離れない。そこだけのためにもう一度、と思うほどには掴まれてエンドロールが流れ切っても席を立てなかった。

新曲が作られていく過程はとてもドキドキした。歌うことが生きることのように、言葉を紡ぐポチオがいとおしかった。歌うということを軸に動いていく世界とその中や外で生きている人々の対比だったり、上手く生きられないのも含めてみんな人間ばかりだった。

全て観終わった後に聴く曲、全てちがったように聞こえる。ココロオドレバ、記憶、古い日記… そこに、ここに生きている。よくわからない感情。ポチオでありシゲオという人物はいないけれどきっといる、そのことを確かめたくて観にいく。わたしの知る世界ではないけれどこれはどこかの誰かの世界なんだとそうおもった。だから余計深く残る。

映画の後、味園へ。入るひとに出ていくひと。沢山のひとで賑わってた。ビルのガラス面に映画のポスターが貼られていてやっと、少し夢から覚めた気持ちになった。現実とそうでないことが交じりあったもの。味園ユニバースというもの。

逢えてよかったなとおもった。


つかれた


JUKE BOXを観ました。悩みに悩んだBlu-ray、ギュッと詰まった一枚をぶっ通しで。そして思ったこと。

笑いつかれた。叫びつかれた。泣きつかれた。目がつかれた。手がつかれた。精神的にも物理的にもとにかく疲れたという言葉がしっくりくる、そんな心地の良い倦怠感に包まれて。気付けば電気の付いていない部屋は真っ暗になってた。

関ジャニ∞って不思議。この気持ちは何なんだろう。観終わった今、わたしは何のライブを観ていたのだろうかと考えてしまう。所謂夢の空間なんかじゃなくて。暑くて、熱くて、厚くて… 見たことのない世界に変えられる様が、こわいくらいに綺麗なんだよ。我先にと作られていく曲たち一つ一つが唯一無二の宝石みたいにきらめいてる。零さず全部すくい上げて仕舞い込んでおきたい程には、すきでだいすきでほんっとに出会えてよかった〜〜〜と地球にうまれてよかった〜〜〜〜〜と涙するしかないんだ。

どの人が欠けてもだめなんだろうし、ここにいるのがいいんだろうな、って強くおもう音楽。「こんな歌はいかがですか?」…ほんと  いいなぁとおもうよ、

そこに居てくれてありがとう。居続けてくれて、そんな気持ちで一杯だから今日はこんなふわっとした文だけ残して寝ます。たくさん観るね。



溢れ出す想い
上手くまとめられなくて
あきれるくらい君だけで
君を愛せるイマが僕の誇り






はじめてのいふおあ

 

好きなひとに拘束される時間、

好きなひとを拘束できる時間。
「時間を割いてまで来てくれてありがとう」その言葉を反芻しては、すきだなぁと思う。
 
一人舞台というものを初めて観た。そもそも舞台自体あまり観たことがなくて、その迫力に驚いたし、こんな贅沢ってあるのかと思った。全身でその人だけをめいっぱい感じられる場所。夢をみているような不思議な感覚。数メートル先に確かに生きていた。以下  初めてサンケイホールブリーゼを訪れ、村上信五さんの舞台を観た、覚え書きとフワッとした感想置き場。感嘆詞多めです。
 
 
 
友だちと二人でブリーゼを目指すも無くて、あちらこちらの地図を頼りにグルグル二周ぐらいしたところで着いた、一面ガラス張りの建物。いやこれ奥まりすぎじゃない?というのがブリーゼの第一印象。ポスターの村上さんがお出迎えをしてくれてここでもう胸いっぱい。動けない。
中に入ると可愛いお店が並んでいて、普段でも買い物しに来たいな〜と思いながら今日は全くそんな余裕がないので一目散にエレベータに乗る。通り道ほんっと真っ白で不気味なほど綺麗なものだから友とふたり感動した。扉も勝手に開くし、なんて賢いんだろう…
 
降ればスーツを着たお兄さん、そしてその先には色とりどりのお花。ああ、ここに。当日券のため窓口へ並ぶ。(12時集合だけれど結構前から整列させてくれました) 時間ピッタリから引き換え開始、私は10番11番でした。震える手でお金をお姉さんに渡し、チケットを受け取り。s席のs列…?友が見取り図を調べてくれて一階席だと知って頭まっしろ。わたし無事に帰れるかな… とりあえずご飯がまだだったのでブリーゼブリーゼ内にある美味しいお店の冷しゃぶ定食をかき込んでタオルとパンフ片手に入りました。
 
 
会場内で流れる007の曲に動悸が止まらなくて。心臓が出てきそうだった。曲が途絶え、暗かった舞台に明かりが灯る。花束を抱えた村上さんが照らされる。きゃーっとかもう言えなくて、見つめることしかできなくて。お芝居をする村上さん。はじめて生でみるその姿、なんてかっこいいんだろう。今この瞬間を目に出来ること以上の幸福ったらない。考えるな、感じろ。記憶力が乏しいので細かいことは覚えられないし書き留めておけない。けれど、舞台に向けるあの真っ直ぐな表情だけは鮮明に思い出せる。ただ  ただ  素敵だった。誰のものでもない村上さんの舞台だった。
スーツにピストルなんて問答無用でかっこいい、イザベラはもはやかわいすぎて我を忘れた、先生は色んなことが上手すぎてあっという間、そしてカーテンコールのほんと最後の一言一句まで最高だった。願わくば一生みていたかった。
 
ワイヤーでつられる村上さんの色っぽいこと。順番どおり風船出てこなくて、そっちミスでしょ!と噛み付くのかわいい。「30秒あったら余裕じゃ」の乱用かわいい。イフウォッチのつっこんで!は毎回お題が変わるのか、思いもよらないのが出てきて破顔するのso very cute…
 
潜入のとこで口説くところ、肩抱くのほんと狡いしそのあと舞台上を駆け回る村上さんの足、腰、、、教育にわるい。
 
あとピアノがね、ほんとうに良かった。楽器ってそのひととなりが少なからず出ると思っていて。真っ直ぐで嫌味のない、村上さんの音が何処までも好きで涙がでた。
 
授業のときにお水のむたび声ガラガラになってて、ワイヤーのときもだし、歌のときも。でもその勝手な心配を吹っ飛ばすくらいの楽しいをくれた。ほんとすごいひと。客席横から登場してくれたときはぎいやーーーってなったし、マスク取る仕草に惚れ惚れして、それからデッキブラシとShall we ダンス?ですよ……… 作業着のままでもかっっっこいいのにそれを脱ぎ捨ててのスーツ。人差し指をくちびるに当てて流し目を、バッと階段をかけあがってゆく。
それからの一連の流れに頭がついて行かなくてもう目を奪われて心も持ってかれた。ここが一番すきかもしれない、村上さんの表情がとても綺麗で。飛び降りるのは男らしくてウッてなった。車で逃げるところのBGMはレコメンwest回でした。
そこからの怒涛の展開。いやもう、なんもいえない… 楽しかった… メイキング。お誕生日お祝いやainain撮影風景etc  なかでもイザベラvsシマウマの場面で、画面に見えない(映らない)とこから引っ張ってるスタッフさんに凄まじくジェラシーかんじた… うらまやしい (羨ましい+恨めしい)
 
すべてが終わり一度舞台上へ。深々と挨拶、そしてお話へ。禁煙のこと「こんなとこで言うことじゃないんですけど」って。でも気にしてたらあかんからと、夏から止めてたこと話してくれた。みんなのひぇーって歓声と前傾姿勢が忘れられない。ちゃあ(茶道)とはな(花道)とかもやりたい、大人としてそういうこと知ってたほうがいい。ヤスダくんとのパスタ話はすっごいかわいかった。すっごいかわいかった。ヤスくんの真似する村上さん、一人で何役もして再現してくれる。「信ちゃん(首ふるふる)すすったあかんねんで…」って信ちゃん自身がする破壊力。かわいいしかいえない。
 
 
 
村上さんはアイドル。これが私の初めて生で目の前にしたとき感じた印象だった。そこがコンサート会場だったからかもしれない。けれどそれ以上に、漠然とそう思わせられるなにかがあって。いまでもずっと変わらないし変えられない。毎回流れてくるエピソードに一喜一憂して、その度にまた一つ想いが増えるからうれしい。いつもたくさんありがとう。今日の公演も皆ちゃんと家へ帰れますように。僕とお客さんだけのものにしてね。でもやっぱりDVD待ってる…!