たいらげたら眠る

今ウトウトしてたでしょ?

『俺節』感想


成功することが正解でもなければ、
失敗することが終わりでもないんだな、って
俺節を観て、コージを通して。


寂れていた“みれん横丁”が最後、オキナワとコージが帰ってきてバーーーッて鮮やかに色付くところ。デビューもできなかったし、新聞にも載らなかった。ただの前座だったけど、確かにコージの世界には色が付いたんだな。


ヤスくんの歌を聴いて。音を確実に捉えている声の出し方は、まるで鍵盤を叩いているかのよう。でも、ちゃんと感情の乗った管楽器のようでもある。不思議な歌声、すごいなあって。

心の寂しいところにドンッとぶつかってくるようなヤスくんの、コージの歌声は、悲しくて辛いことに寄り添って、嬉しくて楽しいことを分かち合ってくれる響きをしてる。



うろ覚えだけれど、暗記した曲を口から出すとメロディにはなる。でもそれは楽譜をなぞっただけの音であって、歌じゃない。歌は、ある日ふと、聴いたひとの頭のなかに流れるもの、という師匠の解釈がガツンと。



コージは不器用で、上手く生きられないけど、誰よりも人間らしくてかなしいほどに真っ直ぐで。かわいらしくて、幸せになってほしい。

コージが「テレサ」や「オキナワ」と呼ぶ声が好きだった。本当に大事な人を呼ぶときの声色をしてた。優しくて甘い声。叫ぶように、魂で歌うときのコージの声色とはまた全然違う、でもどちらも祈りに似たような響きを持って相手に届く。あんなにも人のことを思えるのって羨ましい。




自己表現として歌うコージ、演歌というジャンルで。
コージの歌は本当にコージ自身で、どこまでも胸に来た。「歌いたい」という気持ち。「歌えてよかった」という気持ち。大好きなことをできない、続けられない辛さと、夢で成功できない現実。夢や空想だけじゃ食べていけない。現実を生き抜いてこそ夢は見られるものなのだと最近とても思う。それでも人は夢をみていたい。みれん横丁の人たちはコージやオキナワに自分たちの「夢」を写して、明日や明後日を生きてゆくのかなあ。



カーテンコール。キャスト全員で、幕を持ち上げるように開けてくれる。照れたように頭の後ろに手を添えるコージの仕草、深くお辞儀をするヤスくん。そして一歩前に出て、後ろに向き直り、大きく手を広げるヤスくん。小さくて大きな背中。座長の背中だった。かっこよくて、何故か私まで誇らしくなった。




千秋楽までもう少し。たくさんの人の心にコージの「声」が届きますように。そして頭の中でコージの「歌」が鳴り続けますように。怪我のないように、村上くんもいうてたけど、無事に完走できますように。すごくエゴだけどね、終わってからちょっとゆっくりできる時間があれば、わたしが勝手にうれしいです。