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たいらげたら眠る

今ウトウトしてたでしょ?

ソロ


この感情をどうにか仕舞ってしまいたいので書かせてください。アルバム発表のときからどうしようもなかった気持ちを、皆さんが読んでくださることを知っているのに私の自己満足でここへ置かせてください。ごめんなさい。わたしは村上担である前におおの担であるなあ、とひどく感じて。



音に埋もれる時間はとてもしあわせだ。それはライブの中であったり、自室の中であったり、電車の中であったり… 直接的にでも間接的にでも音に触れているとき、私は家の中から飛び出したような感覚よりも外の世界から抜け出したような気持ちになる。だからわたしは音楽がすき。奏でるのも聴くのもだいすき。


音に言葉を乗せることは素晴らしい。人間でよかったなあっておもう。思いを言葉にしたためて音に流す。それを歌うひとがいて、聴くひとがいる。素敵だな、すてき。星の数ほど音があるし人間もいるから数えきれないくらいの歌が生まれて、日に当たるものそうでないもの、これが良いあれは駄目、それは仕方がないことなのかもしれない。



私にとってソロコンサートというものは昔の話で、同時に夢の話だった。若い頃の大好きなひとがじぶんを大好きなファンに囲まれながら好きなことをできる場所であると、そんな認識だった。その空気を吸わないまま、知らないままこれからも過ごすんだろうなっておもってた。でもイフオアに出会い、身をもって感じてしまったのと。味園ユニバースという存在。

「歌をうたう役であるらしい」映画館近くに貼っていた特大のポスターをみて、確かにそれはとても魅力的であったし、うっすら羨ましいなあと思わなくもなかった。これがもしおおのさんだったら… とは微塵も思わなかったけど、その前にきっと深く知ろうとしなかったのは今思うと自己防衛だったのかもしれないね。


そういえば、村上さんにアート番組が決まったとき「これが大野さんだったら」という呟きを幾つか見かけて凄くびっくりしたことを思い出す。そうじゃない、そうじゃないのだと。そのひとだから決まったお仕事なのだと。そんなことは言ってたひとたちも多分分かってて。じゃなくて。私はとても悲しかった。でも同時に仕方がないのかとも思った。

誰かに何かが決まったとして、それを羨ましいとおもうことは何にも悪いことじゃないはず。人それぞれ好きなひとがいてそのひとにして欲しい、望んでることがたくさんある。勝手だけど。身勝手に描く夢が両手じゃ抱えきれないくらいあるひとだってうじゃうじゃいる。ね、そういうもんだと思ってる。こんなに遠回しに言葉を連ねているけれど、端的に言うとわたしはすばるくんのカヴァーアルバムがひどく羨ましい。うらやましくてたまらない。



夢の話だと思ってたことが現実になるさま。それを目の当たりにしてるいま。ソロコンのDVD化だって、叶うんだ。“君の声を聞かせて”とわたしはおおのさんにずっといいたかったんだと気付いた。ソロコンで溺れるくらい聴き塗れてみたかった、カヴァーして欲しい曲だって一杯あった。勝手に「〜だった」にしてしまった夢たち。だからってすばるくんの代わりに、じゃない。でもちょっと羨ましいきもちが大きくなり過ぎて見てられない、のです。今は。


心底惚れているから。この想いがどうしたって膨らみすぎて、めんどうくさい。ああくるしい。そこに居てくれるだけでうれしい、とか言いながら欲深いんだ結局。
もっと、もっと!と次から次へと湧き出るゆめのかたまりが現実になるような気がしてしまって、くるしい。だからこそ本当にすばるくんを好きなす担さんたちにおめでとうを言いたいし、痛いくらい握手をして抱きしめて泣かせてあげたい。よかったね、うれしいね、って… そんなふうにおもう程、周りのす担さんは素敵なひとだしすばるくんの歌は強い。だからちゃんと真っ直ぐ目をみてこの気持ちを伝えられるように、どうにかしたかったのです。文字にすることを許してくださいというのは違うかもしれないけれど、それも言わせてください。



なんでもっと前に好きにならなかったんだろう、そうしたらソロコンにも個展にも行けたかもしれないのに。そうおもうからだからいま、いま、すばるくんを好きなひとがほんとうに羨ましくて、チャンスがあるのが羨ましくて、絶対に行かなくちゃいけない。行ってほしい。どうかどうか、みんな会えますように。願っています。