たいらげたら眠る

今ウトウトしてたでしょ?

期末


私が眠るまでは3月31日です。






内緒話をしてくれる贅沢な遊び場は
まるで秘密基地みたいだとおもう。

共犯関係ってなんて素敵な表現だろう、
今年も舞台に立ってくれてありがとう。




イフオアⅧ全30公演お疲れさまでした。
Ⅶで虜になってからというもの、毎日どこかのなにかで村上くんを見られる喜びを噛み締めて生きた一年でした。



パンフレットを読みました。結局なんだかんだで公演中に開けなかったからさっき読みました。去年は女スタッフさんからの意見を取り入れたんだと知って、だから村上くんの中でスーツ=女の子がキャーキャー言うみたいな図式ができてたのかな… って思いました。ちゃんと喜ぶことを理解した上で、あえて女子にはウケなさそうなものも放り込んだりして楽しんでるらしいから本当、イフオアに関わる数時間はちょっぴり村上くんの“身内”になれる気がします。


リサイタルや元気が出るLIVEの村上くんはアイドルで、イフオアの村上くんもそれは勿論変わらないんだけど「手の届かない場所にいたり、隣に座ってくれたりするひと」なんだよなあってどうしようもなくここに来るとそう思う。




ストーリー形式の去年からオムニバス形式という原点にかえった今年のイフオア。過去のキャラクターたちやお馴染みの先生、はたまた金髪のかわい子ちゃんや45年のおじさんなんかも出てきて、たくさんの村上くんに逢えた舞台でした。頭を空っぽにはできなかったけど (だって格好いいんだもの) 楽しくて、幸せな時間でした。…村上くんも、楽しかった?




ソロを選ばせてくれた村上くん、ちゃんと自分を想ってくれるひとのことたくさん考えてくれる大好きなひと。カテコの村上くんは同じ話をしないけど、同じ気持ちは添えてくれる。大事にされてるな、と互いに思う。





続けるから止められる。続けてきたことしか止められないんだなあっておもったら、月並みだけどすごく誇らしい気持ちにもなった数日でした。頑張り屋さんって一言じゃとても表せないけれど、がんばることをがんばれるひとのお仕事を応援できるの、誇らしくて泣きたいよ。



あなたを好きでいると、寂しいも悲しいもあるね。プラスの感情だけで私は好きでいられないんだってこの一年で学びました。だけど湧き出てくるそれらより素敵な何かを与え続けてくれるからずっと大丈夫でいられたよ。
きっとこれからも、そう。



変わることはいつまでも怖いけど、村上くんが変えてくれる世界はこの先、もっと、もっと素晴らしい気がするから、その世界で私も笑っていられるように、明日からガムシャラに生きていきます。








最近言葉がまとまらなくて、イフオアの覚書は今年中になんとか… でもとりあえずなにか残して置きたかったんだ。書き留めておきたかった。誰が何て言おうが一等すきよ。あなたがすきよ。あいされてることをくしゃっと笑って受け入れてくれたらとっても安心するので、ね。今年度もまたここから好きといわせてください。

抜粋



ヒ: 丸山さんに感謝メールも来てますわ
マ: おっ ありがとうございます!

ヒ:「以前、相談してみたで電話ぁ 出演させていただいたとき、事前確認でスタッフさんから電話が掛かってきました。(うん) そのときにちょうど丸山サウンドを収録していたのが電話の向こう側から聞こえたのですが、(おんおんおんおん?) 一回止まった思ったら、再び収録し直していました。(はいはい) 一発で収録しているのかとおもったら… はぁ まるちゃんでもしゅうろくし直すんだなぁと、ちょっとかんどうしました… (おー うっせぇ うっせぇや) …いつも難しいリスナーのリクエストに答えてくれてありがとうございました。(おー うっせぇうっせぇうっせぇうっせぇ!)」
マ: あんまゆうなや〜 そういう真面目なとこぉ おいおいおいおいおい パーフェクトな男だろぉ?俺は!一回だよ?なにぃ?き、聞き間違えたんだよ!なぁ
ヒ: おまえ そういうのあるよな ちぃちゃいこだわりあるよなぁ
マ: 台本もしっかり読むしなぁ
ヒ: よんでんのにこのざまやもんなぁ
マ: まぁなぁ おいおいあんまりいうなよ いいすぎるなよっ ちょっとは言っていいけどいいすぎるなよっ



なんだよぉ おまえ はずかしめか







ヒ:「丸山くんがパーソナリティになってから三年、毎週木曜日が楽しみになっていました。(せんきゅっ) まいしゅうさいごにきこえる っはぁ まるやまくんの『おつかれさま』『おやすみなさい』って声が私はだいすきです、(なに笑ろてん) 〜…っすぅ (なにわろてんねん!えー話やんかぁ ) その言葉を聞くたびに (ありがとぉ) 木曜日は仕事が頑張れるようになり (あらっ) また次のもくようびまでがんばろうっておもえるようになりました。(うれしーねぇ うれしぃねぇ) 丸山くん三年間おつかれさま ありがとぉ (ありがとぉ)」
マ: なにわろてんねん
ヒ: わろてないやん なきそうなってんねやんけ
マ: ありがとぉな、しんご (……っきぃ)
しんご、ありがとうな? …なんや、
うれしいやんか うれしいやんか









「でも村上さんがしっかりと受け止めてくれるから、丸山さんが自由に遊べる最大限の力を発揮できる… そんなマルヒナのレコメンが大好きでした。」





マ: あれだねぇ
ゆーとおりやね?
ヒ: んぅ?
マ: ほんまにゆーとおりやね
ヒ: そやろぉな
マ: うん
……きつくくるなよ (っふふ)
ちょっと優しくしろよ!つつみこめよ!

ワン、ツー、Sunday



自分は他人のこと気ぃ遣って
小さい頃から怒られたとき
どうしていいのかわからないから
笑ろてまうねん




一昨日のラジオ、最後の数分を聴きながらこの言葉を思い出してた。


そのときの丸ちゃんに手を差し伸べてくれたのは村上さんだったのだろうけど、目の前で自分へのメッセージを読み上げる姿を、おとついの丸ちゃんはどんなふうに笑ってみていたのかな。




村上さんの誕生日から2ヶ月、丸ちゃんの誕生日からは4ヶ月も経ってしまって、それだけ時が経ったのだから何かが変化してしまうことは仕方がないのかも知れないけれど、その全てを受け入れるにはまだ時間が足りない。






盛岡のHGTBのひなまる *1 に遭遇したとき「村上くん鬼かよ」って割と真面目にそう思ったけど、そんな横暴も受け入れてあげてる丸ちゃんを見たら、なんともいえない安心感を覚えた。


この二人からは偶に自己犠牲の匂いがする。だから周りのひとがちゃんと大切にしてくれてるなーって感じるとすごく嬉しくなる。村上さんが我儘をいえるのが丸ちゃん、それはヤスくんや大倉くんとはまた別の甘え方で。たぶん少しだけ似ているから、お互いが心配で、お互いは心配で無いのだろう。二人がそれぞれに向ける視線はいつだって心配と期待の色を含んでいるようにおもう。




怒ってもへらへらする丸ちゃんの言葉を聞いたとき、使命感にちょっとだけ諦めを滲ませたような気持ちを持ったのかな。「わかった」はおそらく分かってなかったし、分かってた気がする。



全く正反対のようでそうでないからこそ、そのときの丸ちゃんの“気遣い”を村上さんは真っ直ぐに受け止めたのかもしれない。






村上さんにとっての週終わりは木曜日らしいから、レコメンが終わると「今週もお疲れ様でした」とラジオ越しに声を掛けてました。そこから聞こえてくる丸ちゃんの「お疲れさま」は優しいから、ふたりへも返したくて。


ラジオを聴く習慣の無かった私にとって、長針の三回まわる時間というのは難しかったし、聴けない日のほうが多かったけど確かにその時間が木曜の夜に訪れることはとても勝手に大切だった。TLに流れる言葉も、ちゃんと毎週ふたりの時間があることを証明してくれるから好きだったよ。






前の日にめいっぱいの幸せとほんの少しの本音を置いて舞台を終えた村上さんは笑顔で、誰でもそうかもしれないけど、送るより送られるほうが大丈夫なようにみえるひとたちなのだなと思った。しぬわけじゃないんやから、って去れるひと。だからまだこの前のヒルナンを私の知る限り、送ってばかり来た村上さんがようやく送られる側になることがこわくて、ホッとして見れてない。




現状維持とは「今の状態をそのまま保つこと」だけど「そのまま保つ」のは「一つも変えないこと」ではないようにおもう。そのままであるために変わらなければいけないなんて、そんなの可笑しいように感じるけれど、常に変化していく周りの中で変わらずにいることは思っているより難しいから。





何事も始まりがあれば終わりがあって、途中で終わりを意識できるときは「終わることが辛くないとき」意識できないときは「終わるのが辛いとき」だと思ってる。好きなものに対しては圧倒的に後者の気持ちを抱くことが多いし、楽しいことは終わってほしくないし。それを当人たちも惜しんでいるように感じたときなんて、どうして終わっちゃうんだろうって、考えてしまう。無意味なことだと分かっていても、考えてしまう。




アフターケアって大事でしょう、終わった後どうするかでその後の気持ちって全然変わってくる。後任のウエストくんは好きだし、頑張ってくれるのだろうし、なのにどこかの誰かであるよりとてもいいけれど、なんで どうして こうじゃなきゃだめだったんだろう、と思ってしまうのが。もやもやしてしまうのがいやだ。あんな声を聴いてしまったら、立ち直れないじゃない。悲しいが癒えなくてもう、どうしたらいいのか。思い返すたびに23日と24日の間で泣いてしまう。






この穴を埋める前にまた次の寂しいが来てしまうからそれまでにせめてその穴に埋もれてしまわないようにしなくては。


いなくなる訳ではないし、どこにもいかない。
ちゃんとグループは在ってそこに居てくれる。
何にも悲しくなんてないんだけど、ちょっと贅沢を言ってるのよ。ヨコヒナのレコメンを知らないから少し感覚がちがうかもしれないけど、初めて別れを目の当たりにして今はただ寂しい。







たぶん優しい顔で笑ってみてあげてたんだろうな。自分のことで泣かれるのは二人とも得意じゃなさそうで、ひどく愛おしい。












やだなあ。

*1:まるちゃんの足抱えたままステージの端まで歩かせて、お客さんに「ほら、挨拶しぃ」って言う何処の輩(むらかみさん)

同じ色に染まることもできないまま



他人の好きなものを否定しない、っていうのがわたしの信念でありまして。


すきなものをきらいって言われたら悲しいな〜って。
ヨソはヨソ、ウチはウチでいいんじゃないかなと思うわけです。

「〇〇くん好き〜」に「私は苦手だな〜」は分かるけど「〇〇くん好き〜」に「えー 何で!絶対なくない?」は「ほっとけよ!」って思います。
自分の考えを押し付けられるのがイヤなんだろうな。で、自分がされてイヤなことは他人にもしない。




関ジャニ∞を好きになっていく上で通る道として「すばるくんの歌を好きになる」というのがあるのだと少なくとも、他所の畑からこちらにやってきたわたしはそう感じます。

初めてすばるくんのだと認識して歌声を聴いたとき、そりゃー 好きになるしかないよね!と思いました。私自身あんまり上手くないから大体の人の歌はじょうずだな〜っておもいながら聴いてるんですが、それに加えてちゃんと温度がある声だーって思って。


私が歌に限らず、音楽を聴くときに一番気になるのは演奏の上手い下手じゃなくて気持ちがのっかってるかどうかです。だから村上さんが「歌は気持ちや!」っていうのすごく好き。すごく好き (二回いうた)
どうしても評価つけたりしないといけないときは前者が大きく関わってきてしまうんだろうけど、そうじゃないならどんだけ調子外れてても、空っぽの歌より中身詰まってる歌のがいいに決まってる。

ちゃんと温度があるんだなーって思ったっていうのは、中身がある=気持ちが詰まってる歌って生きてるような音で出来ていて、カラダにココロに直接しみこんでくる気がしているからです。すばるくんの歌は熱かった。熱すぎて、わたしは触れることができなかった。




さっきも言ったこと。関ジャニ∞を好きになる上ですばるくんの歌を好きだと言えないとこれ以上踏み込めないんじゃないかと。


周りのファンのひとたちは皆すばるくんの歌が好きで、何よりも村上さんが大事に大事にしてるすばるくんの歌を好きになれないようじゃ、ダメなんじゃないかと。



ヨソはヨソ。ずっとその精神できたわけです。けどそのままでやって来たらいますっごい取り残されたみたいな気持ちになってしまって。ほら、すばるくんのアルバムが手元に無い。それってどうなのかと。


関ジャニ∞のフロントマン、わたしこのフロントマンって表現がとっても好きなんですけど、メインボーカルど真ん中で歌うのはすばるくんしかいないなって思うのです。思うし、その姿が好きなんだけどやっぱり何だか無意識に距離を置いてしまってた。


理由のひとつとして、この表現が正しいのか分からないけど、私にとって羨ましいことが目の前で起こる様に勝手な想いを抱いて八つ当たりしてたんだとおもう。
映画の役柄もそうだし、ソロシングルにツアーそれがDVDになったことも、今度はカヴァーアルバムを出すってことも。それをリアルタイムで追いかけられる現実が。いいな、いいな。羨ましい。
ひとくくりにはしないけど、周りのおおの担もずっと同じようなことを願って叫んでて、いつか届けば、もう届いてるのかもしれないけど、言い続けないと叶わないことも言い続けても叶わないこともあるけど。そりゃ行き過ぎたのはあかんけど、願うファンとしてわたしも伝えればいいんだけど。


できない。やらない。それは「押し付けちゃう」ことが怖いのか「与えられるものだけで生きていきたい」からなのか。あと、おおのさんはその殆どを一度経験していて、わたしがその時にいなかっただけなのもある。だからもう半分諦めもあるのかもしれなくて。矛盾した我儘な人間だから、羨ましいけどそれをいうほどの度胸も勇気もない。甘い汁だけ吸って生きてる。アイドルとファンがお互いに、需要と供給が数は合ってないかもだけど、形が揃ったことが羨ましい。でも全然違うひとなこともわかってはいるんだ。




CDも映画も、最初は全く触れることができなくて。義務のように思っていたのかもしれなかった。エイトを好きならやるべきだと、そんな風にちょっとでも思ってるかもしれない自分が嫌で、だから余計ふれないようにしてた。


結局そんなきもちを純粋に見たい聞きたい気持ちが上回った日、CDも買って毎日聴いたし、映画も二回観た。味園にも行った。だからカヴァーアルバムもきっとすきになる未来があるのだろう。


エイトのライブを観るとき当たり前だけど、わたしはエイトのことしか考えない。フロントマンすばるくんの歌を浴びる瞬間は最高だ。熱い。すばるくんが真ん中にある関ジャニ∞を好きだなって思う。勿論まるちゃんの綿菓子みたいな歌声も、りょうちゃんの人を惹きつけてやまない歌声も、もっとたくさん聴きたいっておもうこともあるけど、でもやっぱりそう思う。



今日はじめて特設サイト覗いて、一通り全部視聴して。今、聴きたくて仕方ないのです。音に塗れる、生きるように歌うすばるくんの歌とちゃんと向き合ってみたいからこんなに考えてるんだなって。どうしようもなくて書きなぐってこんな時間なんだなって。こんなわたしでもエイトを好きだと言っていいのだろうか。村上さんの好きなすばるくんの歌をちゃんと受け止めきれてないんだ。邪な気持ちでいつだって少しみてしまう。そんなじぶんがいやだから、だから深くふれられないでいる。




今日がバレンタインだから。去年のわたしはイフオアに行って、大阪でみた村上さんが二日後の16日に名古屋ですばるくんのライブをみる。今年も、みたいだろうな。いろいろあるだろうけど、どうかきけたらいいなって思っています。それとおんなじくらい私の周りの大好きなひとたちもいけたらいいのになって思ってる。おもっているよ。なんとかなりませんか。どうか、どうか。

途方もない旅


劣等感というものがある。それこそ昔からずっと。


自分なんて、という気持ち。「優しい」ひとだねとよく言われた。相手に決断を委ねることが多いから「本当にそれでいいのか」聞かれるけど、それでよくて、それがよくて。上手く伝えられないから誤解されたままなのかもしれないけど、自分が笑って相手が泣くようなことがあるなら相手が笑うほうの道を選びたい。

自分のせいで相手が泣いたのだと思いたくないだけだ。
自分が笑わせたのだと思いたいだけだ。

邪魔をしたくなくて、役に立ちたい。





一つ、大好きなひとが放った言葉を取り上げて「あのときの出来事」を思い出せないことが悔しい。

無いものを思い出すことなんて出来ないから仕方ないけど、悔しい。無いことが悔しい。こんなに好きなのに自分はこんなに知らない。知らないことは罪のようにおもえる。


調べても調べても知らないことがたくさんあって、溢れていって、拾ってみてもまた知らないことが混じっているから悲しくなって。みんな知ってることを知らないなんて私は何て無責任なのか。しらないのに好きだと胸を張って語れない。同じ記憶がないのだ。



過去の番組を漁る。DVDを観る。雑誌を読む。どんな人なんだろう、どんな関係なんだろう、どんな風にどんな道をどんな… そんな間にも時間は進んで日々は過ぎるから毎日を歩かないといけなくて。だんだん大きくなる距離、追いかける、追いつかない。なんでそこでそうやってそんな顔をしているのか、私はちゃんとしらない。いつでも一番いまのあなたが好きだし、今のあなたを追えることがわたしの誇りだし。でも今は過去から出来ていると思うからこそ知りたい。知らなければ。




最近やっとニズムを違う方向から観れるようになった。待ち望んでたみたいな言い方はよくないのかもしれないけど、ただ楽しいと感じたあの日の私も大事にしなきゃいけないんだけど。

それでもずっと知りたかった。mc途中ではけてたとか一人だけソロ曲がなかったとかRAGEがどんなに偉大で大切な曲だったのかとか。あの日は何にも知らなくて、ただ楽しい記憶しか無い自分が悔しくて、ずっとずっと悲しかった。まだ全部は知らない。たぶんずっと知れない。好きなのにしらなくて、それでもよくて、よくないの。あの日のわたしがしらなかった諸々を知りたい。分からなくても分かりたい。



好きだから、調べて知れることなら調べたい。
大好きなひとが過去の話を楽しそうに、うれしそうに、懐かしそうに、やわらかい顔して喋るから。知りたい。知らなくても好きでいられるけど、好きでいるからには知りたいの。





知りたい、知りたいばかりつらつら書いていたらレンジャー更新の時間になりました。知らないことを恥ずかしいからと隠して生きていくほうがよっぽど恥ずかしい。村上さんは真っ直ぐ自分に正直なひとだと思う。知ったかぶりはもうやめよう、教えてくれるひとがいるのは恵まれているのだから私も自分に嘘をつかずに生きていきたい。






途方もない旅の果てなんてきっとないから「知らない」「分からない」という劣等感をちょっとずつ薄めて、うまく付き合っていかなきゃな。

例えばその八重歯とか



村上信五さん
34歳のお誕生日おめでとうございます。



僭越ながら、こうしておめでとうを述べさせて頂くのは二回目です。




私は32歳の村上さんに惚れ、
33歳の村上さんに恋をして来ました。
そして34歳になる今日という日に村上さんへ
ありったけの言葉を綴ります。





大好きなところ。


ぱっちり二重の目。いつだって友人と話していると「顔が可愛いね」って結論に落ち着きます。たぶん大元はここ。



笑うと猫髭みたいになる皺。くしゃって音がしそうなくらい顔をぎゅうっとさせるとできる、その皺に住みたい。



自他共に認めるチャームポイント八重歯。ちゃんと把握してるのがもうかわいいんだもの。



かっちりした服が映えるスタイル。スーツもあんなに格好良く着こなしちゃうけど、バスケやサッカーのユニフォームみたいなのも似合うから困っちゃう。



俊敏な手足。癖や習慣のこわいこと。叩かれたい。永遠の夢です。



綺麗なのに男らしい指。鍵盤を弾くときも、フリップを持つときも、思わず見惚れてしまう。村上くんの指だな〜って凄くおもう。



ピアノの音。真っ直ぐで嫌味の無い音。独立しちゃいがちな楽器だけど、渇いた花で聴いたピアノはちゃんと寄り添ってあげられる音をしてた。



ちょっぴり掠れた良く通る声。たまに調子も外れるけどそんなのどうでもよくなるくらい気持ちよさそうに歌うのが大好き。どうか喉は大事にしてね。



舞台の上の姿。お仕事をしているときの村上くんは輝いてる。世界で一番かっこいい男の人を見つけてしまった、って嘘じゃなくて本当にそう思うんだ。



ガハガハ(大きい)ヒャー(引き)〜…!(無音)こっちまで釣られちゃう笑い方。わらいすぎて仰け反っちゃうのも、周りから浮くくらいオーバーになっちゃうのも愛しいよ。ずっと笑っていてほしい。





みんなの中に入ると途端にほやほやするところ。自分が前に立たなくても、ちゃんと物事は進んでいくし、そのことに対して「申し訳ない」だとか「情けない」だとかの感情が伴わなくてもいいような… 少々地に足が付いてなくても許してもらえる・許してあげられる場所なのかなあって勝手に想像して、勝手に微笑んでいます。









誕生日って生まれた日。
だから生きてるもの皆持ってる記念日なのだけど、なかなか365日毎日おめでとうを言える相手はいなくって。


たぶん昨日と同じなのに目の前に広がる全てが違うふうに見えてくる。そんな不思議な気持ちを好きなひとが増えるたび知る誕生日の数だけ、多く長く感じています。



年に一回、だった日が二回にも三回にもなるんです。
去年までなんでも無かった日も友だちに会ったら「おめでとう!」と言われ、日付を書くたびドキドキして、鼻歌が増えて、帰り道でケーキを買っちゃったりする日になるんです。ね、面白いね。







こないだの大倉くんのレンジャーを読んで改めて、夢を与える仕事を選んだアイドルのことを考えて。


アイドルはお仕事で、アイドルでいる時間は彼らにとって労働時間なんだ。そう考えると愛とか恋とか抱いている身としては切ないけれど、そんな気持ちを忘れさせてくれるくらいアイドルは凄いからファンでいることをやめられない。




選んでくれて… というのもなんだか違う気がするんだけど、でもやっぱり選んでくれてありがとうって思います。


アイドルになってくれてありがとう。

生まれてきてくれてありがとう。



アイドルという職を選んだ村上信五という人間が大好きです。これからもわたしが一番大好きな村上さんはお仕事をしている村上さんだから、あなたは勿論、周りにいてくれる人たちも含め元気で楽しく過ごせますように。そしてキラキラした姿がたくさん見られますように。ずっとずっと願っています。










例えばその八重歯とか
変わらないところも変わってゆくところも
いつでも今この瞬間の村上さんを見つめていたいな。

spirits



村上くんにトキメキ始めたらイフオアを観に行って欲しい。これ以上敵を増やすようなこと言いたくないけど、仲間を増やすためでもあるから言っておきたい。(というか村上さん!マジでチケット取れないんだから一枚も売れてないとかいうのやめてください><ホントに…)



あの日のブリーゼで感じた空気も匂いも村上くんが舞台に向けた目も全部覚えてて、それこそ昨日のことのように思い出しては何度でも恋に落ちています。それくらい、村上信五によるイフオアという舞台は素晴らしい。




そんなこんなで、ここ数日間むらかみさんのことばかり考えていた訳ですが。


なんの前触れもなく話し出すと、大野担が村上くんに落ちる上で千年メドレーは外せないところだと思う。



アイドルを好きでいるとどうしても「このとき既にファンだったら…」と思う瞬間がある。おおのさんを好きでいて、千年メドレーを知ったとき、私は何故もっと早く生まれなかったのだろうかと心底思ったものでした。




spiritsのDVDの村上さんは本当にかわいい。
大好きなお姉さんから「これ(私に)みせたらしんじゃうんじゃ…」って心配されたくらいかわいい。村上くんっていうよりヒナちゃんって感じがする、そんな若かりし頃のエイトのライブで。千年メドレーを歌い踊っていたのは他の誰でもないヒナちゃんだった。



そのときの衝撃ったらなかったのだけど。
おわん on Twitter: "千年メドレーだいすきなの、届いたDVDの裏のセトリ 曲名みつけたときから誰が歌うんだろうってドキドキしてて、いざみたら村上さんがひとりでずっと踊ってた あんまりびっくりして わたし、ゆめをみてるのかとおもって…"





「千年の夢 飾りあかそうか」

元々の千年メドレーがどんなものなのかはうっすらとしか知らない。
私が初めて聴いた千年メドレーは東山さんのものでも、光一くんのものでもなく、大野さんの千年メドレーであったから。語弊を恐れずにいうとすれば私の中では長い間おおのさんの曲だったのです。あの暗闇からすうっと浮かび上がるように躍り狂う姿しか知らない。後ろ手にいるものじゃなくて、メインであるそれを見たときの脳が痺れる感覚は忘れられない。本来なら知ることができないはずのそれを、こっそり胸の奥にしまい込んだ日から。わたしのなかでずっと燻っていたこの曲。




アレンジがかなり効いているのでしょうか、でも確かにそれは私の知っている限りの千年メドレーでした。この前のレコメンで丸ちゃんがダンスのこと褒めてくれてたけど、この曲の躍りも村上くんによく似合う。

なんにもダンスの知識なんてないなりに思うのが、決めをみせるのが上手で、手足が長いから大きい振りが良く映えて、でもとても繊細で色っぽい村上さんのダンス。「歌は気持ち」といつも本人が言っているように歌も踊りもみていて思わず惹き込まれてしまうような魅力が村上さんにはあると思ってる。




全く違うもののようで、芯は同じなのだろう千年メドレー。先輩は偉大なり。素敵な曲をありがとうございます… ちゃんと今度いろいろみて勉強したいなあ。





最後に改めていま思ったことを叫んでこの記事を終わりにしたいと思います。


フローズンマルガリータのマルチアングルが見たい!!!!!!!